四万十川ウルトラマラソン・・・・その2

PRAT2

蕨岡中学をスタートして、最初の10kmは平坦で、1500人ほどの出場中後から50番以内であった。
仲のいいカップルのすぐ後ろを走っていたが、あまりにも遅く最後尾になりそうなので、少しだけスピード上げる。
10kmを過ぎたあたりからじわじわ登り始め、500mの高低差を一気に峠まで上る。
景色はいいがそれをみている余裕などない。20kmまでは足も体調もいいもう少しスピードアップできそうだったけれど、ここから先は下り、飛ばしすぎると、その後が怖いのでセーブしながら走る.
下りきった32km地点で四万十川に合流する。
久しぶりの四万十川に感激しながら、ひた走る。さすが40kmを越えたころから少し足に来はじめる。
「やばい』でもまだ半分も走ってない。
50kmを過ぎたあたりで沈下橋を渡る。ここはコース上で唯一折り返しランナーとすれ違う。橋の上は風がキツイが、すれ違うランナー達の顔を見ると元気が沸いてくる。
「あと半分だー」と思いきや高低差100mの登り「キビシイ-』
60km地点で着替えと昼食をとる。おにぎり3こ食べ10分の休憩で走り出す。
四万十川の雄大な流れを見ながら、「まだ余裕かな」と思っていると、75kmを過ぎたあたりでいきなり空腹に見舞われた。「腹減った-!何か食べ物はないかー!」エイドステーションまでは遠い、ふと横を見ると畑に柿がなっている。
これを失敬するしかない悪いと思いいつつ、二つほどいただきむさぼり食べる。これで何とか生き延びれた。
80kmを過ぎたあたりから、思うように足が動かないが唯一助かっているのは、痙攣が来てないことだ。
制限時間いっぱいで走っている。後ろから選手収容のバスに追いかけながら、必死で走った(歩くと変わらないスピードで)
79km関門クリアー!87km関門何とかクリアー!「乗りませんか?」・・・・「乗るもんか!」・・・たぶんよろよろしていたのだろ~。
もうあたりは暗くなってきた。このあたりで、通称「ホタル」なる蛍光ライトを渡され、首からかけさせられる(安全のため)
最後の関門クリアーもう真っ暗、ボランティアの人照らす車のライトで道がやっと見えるくらいだ。
後は時間との戦いだ。間に合うだろ~か?と思いつつ・・・・
残り1kmの所の坂を登りきると、ゴールのアナウンスのカウントダウンが聞こえてくる。なんとか間に合いそうだ。
転びそうになりながら坂を駆け下りる。
ゴールまであと少し最後の力を振り絞りゴールに向かう。
どんなポーズでゴールしようかな~~など考えながら最後のコーナーを曲がると、パーと眩いばかりのライトに照らされた。「谷本さん』と斎藤君が叫んだ横を向き手を上げた。

13時間55分ついにゴール(なんと制限時間5分前のゴール、危なかった)

これが完走者に与えられるメダルだ。

長かった100kmがついに終わった.
完走のメダルを首にかけてもらいシューズからチップをはずしてもらい立ちあがろうとしたが、もうフラフラだった。
先にゴールしていた斎藤君、根岸さんと抱き合い、その後、感激のあまり、西川さんの奥様にまで抱きついてしまった.

今までの人生でこんなに感動したことはなかった。

その夜、みんなの完走を祝して楽しい宴をしていただいた。
ご主人、奥様、かわいいはなちゃんと久々に美酒に酔ってしまった。
 西川さんご夫妻をはじめ、はなちゃん、ウルトラマラソンの関係者の皆さん、応援してくれた地元の皆さん、整骨院の先生、鍼の先生、仕事をあけてしまって迷惑をかけてしまった会社の皆さん、「本当にありがとうございました」・・・感謝の気持ちいっぱいでした。
特に西川さんご夫妻には、物心ともに支えていただいたおかげで完走できたものと心よりお礼申し上げます。
こうして夢であった100kmウルトラマラソンの初チャレンジは終わった。


 
感動のゴール

ゴール後の喜びを分かち合う(スティママ、根岸さん、斎藤君、著者)

次は、四万十川ウルトラマラソン攻略法伝授します。

続く

  

水道工事と掃除しました

トイレの所に、水道がなかったので、5mほど、パイプ延長して、蛇口を作りました。

洗面器はたくさんある鉢を使いました。

温かかったので、エントランスの灰を掃いて、シャッターと看板を綺麗にしました。

お客さんが来ないときでも、綺麗にしています。
  

ユキちゃんが退院しました

月曜日、アクロス医院に入院していたユキちゃんが、本日退院しました。

手術個所は、キャブとシリンダーを繋いでいるところからのオイル漏れ・・・・・これは信ちゃんがタイヤ交換の時に発見してくれたものです。

早速、部品取り寄せて、手術してもらいました。

それと、車高が少し高いので、よく立ちコケするので、低くしてもらいました。

試乗してみると、足つきは5センチほど低くしてもらっただけで、かなり違います。

少し、国道と並走のダート走らせてみると、以前と違い、1~3速が軽く引っぱっていけるし、変なバタバタ音(ノッキングみたいな音)がしなくて、安定した走りをしてくれた。

多分、オイル漏れ個所から、エアーが抜けるか?入っていて、燃料とエアーのバランスが取れていなかったと思われる。

気づいてくれた信ちゃんありがとう!感謝!

林道走るのが待ち遠しいです。

カトリーヌとユキちゃんのツーショット

心なしか二人ともほほ笑んでいるように見えるのは、私だけでしょうか?  

四万十川ウルトラマラソン・・・・その1

出場資格はできたものの、いったいどうやってこんな長い距離を走ればいいのだろうか? ほんとに走れるのだろうか? 
もう練習しかない。それから真剣に走り始める。
泊る所は、ホームスティーで西川さんの所に泊ることになり、準備は着々と進んで行った。
練習も8月9月と順調にこなし後1ヶ月いうところで、練習で、無理したアキレスを切った左足のひざが、痛み出した。
練習をやめ整骨院で治療をする。
さらに悪いことに、仕事では、勤めていた店がリニューアルをする事になり、10月末オープンと言うことでますます忙しくなってきた。
ひざのほうは一向によくならず、十日前から思い切って鍼を打ちに行き始める。
膝もだいぶよくなってきた三日前、今度は風邪を引いてしまう。
内科に行き、熱を下げる注射をしてもらう。「こりゃ-もうダメだー」「いけないぞー」そう言う思いが頭を持ち上げてきた。
でも、もうエントリー費を15000円振り込んでいるし、ホームスティーをお願いしている西川さんに断るわけに行かない。
とりあえず行ってみよう!明日になれば熱も下がるだろう!何とかなるさと思い行くことを決意する。

次の朝なんと熱が下がった。5時に家を出発11時に佐伯に着く12:30佐伯港を出発15:00に宿毛に着く、そこからバスで1時間中村市に到着。
その日は歓迎レセプションがあり、7時過ぎにやっとホームスティーをしてくださる西川さん会うことが出来た。
同宿の根岸さんと斎藤くんの二人にも会う。根岸さんは、なんと70歳を超えていて、何でこんな人が100kmを走るのか?「まじかよ-」と言う感じである。斎藤君は26歳の新婚さん、バリバリって言う感じがする。
西川さんはご主人が、元校長先生で奥さんが現役の先生で、ボランティアのホームスティーも二回目だそうだ。その日は西川さん宅でゆっくりさせてもらう。

 大会当日は3時半に起き食事を食べさせていただき、4時半に会場入り、あたりはまだ真っ暗、約1時間のアップの後5時30分スタート。
前日の食事のとき、みんなに多分完走は半々だろうと話をした。なんたって1ヶ月も練習はろくろくしてない、その上、熱まで出していたのだから、こうしてスタートライン立てただけでも感謝しなければ・・・・・・・
完走するシュミレーションを自分なりに立てた。

1.ペースは一定に保つ。
2.歩かない。
3.どんな人に抜かれても気にしない。
4.14時間以内に入ればいい。
5.10年ぶりの四万十川を堪能する。
この通り走れれば、完走できる。そう確信してのスタートだった。

ホームスティーでお世話になった西川さんご夫妻と一緒に走った根岸さんと斎藤君。

果たして、完走できたのでしょうか?

つづく
  

飯塚オートに行って来ました・・・その2

いよいよ、飯塚オートレース場です。

バスを降りると、すでにレースは始まっていて、耳をつんざくような爆音・・・・・一気に鼓動が高鳴ってきた。

我々ツアー参加者は2回の特別席に・・・・ここは、ガラス張りで暖房も入っていて、最高の場所である。

早速、賭けようとしたら、「腹が減っては戦ができない」だろ~と言うことで、名物ホルモン丼が出された。
元気をつけるために2杯食ってしました。

これはお土産にくれたデトルトを家で再現したものです。

すでにレースは7レースまで進んでいて、そのレースを見ながら、ホルモン丼を食べていると、なんとそのレースは17万円の万車が出てしまった。
雪のせいで、荒れているようである。いやおうもなく、気持ちは高ぶってくる。
早速、8レースに挑戦。

予想紙を参考にいて、3連単を購入・・・・・見事はずれ!

つぎの9レースは試走や前走も参考に購入。

・・・・・すると、特典のピット(コース内側)にてレース観戦のため移動。

コース内は、携帯、カメラ持ち込み禁止のため、入口で没収。
さらに、帽子は飛んでしまうため、着帽禁止。
赤いバックや赤の服はレッドフラッグと間違えるため禁止。当たり前だが、厳しい!

コースを横切りピットへ、すでに10レースのバイクがスタンバイ。
前輪と後輪に毛布が掛けてある。説明によると、タイヤをヒーターで温めているそうだ。特に前輪は、走っていても温まらないため、バースト防止を防ぐため念入りに温めると言うことだった。

爆音と共に一斉スタート!
身近で見るレースは大迫力、5周はアッと言う間に終わってしまった。もちろんこのレースも外してしまう。

ピットの後は、選手のロッカーと言われる場所で、バイク整備をするピットでもある。
林選手ともう一人選手(名前忘れまった。ごめんなさい!)が案内してくれた。

このバイクの特徴
*ブレーキはない
*チェンジはローとハイのみ
*リアサスはない。
*600CC2気筒・メーカーSUZUKI
*ハンドルは左まわりだけなので、極端に左が高い
*タイヤは2~4レースに1回交換
*メンテナンスは全て選手が行う、ある程度の改造は出来る。
*スプロケ前12丁後ろ60丁
*エンジン100万円、車体100万円・・・全て本人負担
*メーター類いっさいなし
*最高スピード直線150kmコーナー90km(1周500m)
*もろ直菅

自転車にエンジンがついている感じ

これが600ccのsuzukiのエンジン

選手の林さん達と

林選手のバイクにまたがらさせてもらった

ロッカーかえるとレースは11レースが始まるところで急いで購入・・・・もちろん負けた。

残すは12レースのみ。このレースには飯塚オートNO1の浦田選手が出場する。本命中の本命である。

3連単から2連単にきりかえ8番浦田絡みで2枚購入。なんとか1枚でも当てたいというせこいのもであった。

3連単も捨てがたく、3-8-6を購入。予想紙を全く無視してこのレースは自分の思い通りやってみることにした。
予想としては・・・3番は試走で一番早かった選手、6番が2番目に早く、次が8番の浦田選手で本来なら、3-6-8で行きたいところだが、このレースは明日の決勝の予選、上位2名しか決勝に出られないため、雨車場に弱い浦田選手も、予選落ちはないだろ~思ったことと、雪も止み、日が照ってきたので、浦田選手が本領を発揮してくれるだろ~と期待して、3-8-6と決定。

いよいよスタート・・・2周目で3番がトップに立ち、続いて1番・・・・後は混戦。8番浦田選手はハンディ付で最後尾スタート。周回ごとに順位を上げていく。

残り1周・・・・以前3番はトップを維持、2番手争いは、6番と8番・・・・ゴールまでもつれる。

「いけ~~っ!」立ちあがって大声援!

ついにゴール!どちらが早かったか?

固唾をのんで見守る中、電光掲示板に確定が・・・・・3-8-6

「やった~~~っ!」「当った~~!」

「むむ~~」・・・・・配当は・・・・3連単・・・5600円

2口買っていたので、11200円

にこにこ、ほくほくで帰途についた。

帰りのバスの中では、隣に座っていた不動産屋さんの親父さんと色々な話で盛り上がり、寝ないでず~~っと楽しく話してかえった。
とても、素敵な出会いでした。

今回のツアーは、タンデム走行は出来なかったものの、楽しいものだった。

飯塚オート最高!  

甦った・・・不死鳥のごとく

復活 不死鳥のごとく

もう走れないそう思った。これで終わったな。でももしや走れるかもしれない・・・・・・
そんな気持ちで、ベットの上で、上半身のトレーニングだけは、欠かさずやっていた。
退院して3ヶ月はリハビリで病院通い、復帰に向けて歩み出した。
だが、年をとってからの怪我で一度落としてしまった筋肉はなかなか戻っては来ない。無理して走ればすぐに筋肉痛をおこす。それでも少しづつやるしかなかった。
マラソンを始めたときの夢であったフルマラソン3時間以内で走る、100kmマラソン制限時間内完走、宮古フルトライアスロン完走は、あきらめなければならないのだろうか・・・・・・。
とりあえずこのつぎの指宿マラソンを走ってみよう。完走はできないかもしれないが、行ける所までいってみよう。
こうして何とか気持ちだけを奮い立たせて練習をして行った。

1997年1月何とかマラソンのスタートラインに立った。練習では、10kmは走っていたが、はたして42.195kmは走れきれるものだろうか?とにかくマイペースしかない。あせらず休まず、歩くこともなく完走。
記録は4時間26分復活ののろしであった。
これに気をよくしたので、10月の四万十川ウルトラマラソンを走ってみようと思い始め、6月に応募した。そして7月始めに出場の許可をもらう

アキレス切断!リハビリ中

さて、さて、あくなき挑戦は、さらにグレードアップ・・・・・どうなりますことやら・・・・・・

ここからが、著者の真骨頂!とくとご覧あれ!  

飯塚オートに行って来ました・・・その1

昨日、仕事お休み頂きまして、「飯塚オートレース体験ツアー」なるものに行ってきました。

この企画は、鹿児島南九州市川辺にある場外車検売り場の集客PRが目的で、定員40名のところ80名以上応募があり、40名プラス40名の80名・・・・バス2台A班B班の組みわけがしてあった。
これが、先々重要になってくるとは・・・・後々知ることになる。

ツアー費用は2000円であるが、これは、後で、レースへ参戦の資金として、キャッシュバックされるので、差し引くとただと言うことになる。

さて、朝、5:00に家を出て、7時過ぎに中央駅西口に到着、7:30受付、8:00出発。
満席で相乗り、隣は70歳ぐらいの男性で、軽く挨拶した程だった。

一通りの説明があって、ピット(ここでは、コース内側)にて、間近に、レースを見られるオプションAの参加希望者を募った。
さらにさらに、その中から、10名のみ、コースを選手とタンデム走行出来るオプションBの募集もあった。
Bに応募すると、採用不採用にかかわれず、Aには参加できないシステムである。
B参加希望者14名・・・・一応、少し迷ったが、なんたってライダーのはしくれ、参戦決意!

バスガイドさんとジャンケンして勝てば、参加権利を獲得できる。
ジャンケンの鉄則・・・・・最初からチョキ確率は相当変人でない限り出さない・・・・と言うことを踏まえて、後は勢いがある時は、グーを出すと思い、パー勝負!
「やったー!よっしっ!」勝利、権利獲得!ガッツポーズ。

そんなことしながら、バスは飯塚市内に・・・そこは、雪・・・・やばっ!不吉な予感!・・・・・的中することになる。
その前に、プチ観光。

旧伊藤伝右衛門邸・・・・筑豊の炭鉱王と言われた伊藤伝右衛門の本邸として明治30年代後半に建造されたものらしい。
妻で作家である柳原白蓮(昼ドラ真珠夫人のモデルとなった筑紫の女帝)も10年間過ごしたと言う豪邸。

この白蓮の容姿、生き方、清楚な中にも凛としたものを持っている姿に惚れてしましました。
詳しくは柳原白蓮をクリックしてください。

それにしても、明治時代にもかかわらず、水洗トイレを設置しているのは、素晴らしい。
ひな祭りが近いせいか、中は、雛人形だらけだった。

柳原白蓮の部屋からお庭を望む

豪邸

素晴らしい日本庭園

豪邸と日本庭園

2部はいよいよ、飯塚オートレース場です。

お楽しみに!

  

栄光と挫折を味わう

栄光と挫折

悔しくてたまらなかった初マラソン。このままで終わりたくない。
そんな思いで、練習をはじめた。
夏の暑い中も走りつづけた。
ちょうど10月に、宮崎で、練習の成果を試す、マスターズ世界大会があり、誰でも参加できると言うので、出場することにした。
10月とはいえ、この日は大変暑く、.スタート時の気温が23度と異常なくらい暑い
調子はまずまずで、元気よく飛び出し、一つ葉道路を快適に走っていたが、10Km地点で給水をしようと思ってポイントを見ると、ない全くない水が、水がない!
暑さのため、前の集団が全部飲んでしまったのと、準備の量が少なかったみたいだ。給水できず。つぎのポイントに期待するが、またなし、25Km地点、とるにはとったが、もはや脱水症状寸前。
大淀川大橋の上でめまいを起こしてしまう。10分ほど座るとだいぶ良くなったので、とぼとぼと走り出す。ほとんど歩いている感じだか、頑張り完走する。
時間は、初マラソンより少し良く、4時間24分であった。またまた失敗に終わる。
 もう半ばあきらめながら、でも、少し悔しい気持ちで、練習を続ける。

次の年の菜の花マラソンを、むかえる。
そこそこ練習はしてきたので、まず行ける所までいってみようお言う気持ちで、最初から飛ばす。
20キロまでは1時間40分とまずまずである。
後半ばてないようにと思いながら走っていると、同じスピ-ドの人と並走すると結構楽に走れる。急坂の所で引き離すのが、なかなかの快感だった。
20~40Kmは1時間37分とスピードが上がっている。
とりあえず4時間が切れればいいやーと思いながら走っていると、のこり1Km地点で観客から『兄ちゃん!頑張れば3時間半はきれるぞー』との声が、ここから思いきりダッシュ!ゴール!
 ゴールしてみるとなんと記録は、3時間28分48秒であった。ほとんどしんどくなくゴールしていた。
マラソン3回目にして出した記録に本人も驚いたと同時に自信につながった。

この年からトライアスロンをはじめ、ますます体力アップに努める。
つぎの年1995年の菜の花マラソンは、少し違っていた3時間を切ると言う思いで、練習をやってきた。
記録を狙うために前の方からスタート・・・・かなりのスピ^-ドで飛び出す。
20Kmまでの記録が1時間26分50秒(10km43分驚異の速さだ)・・・・3時間を切れそうなタイムだ。
これは行けると思い一段とスピードを上げる。
しかし、そんなにうまくは行かない。魔の30Kmの急坂でつかまってしまう。がくっとスピードは落ちる。もう二度とスピードはあがらない。
結果は3時間48分50秒に終わる。

続いて2月の出水鶴マラソンに出るが、寒さ対策不足で、3時間56分55秒に終わる。
このとき、マッサージをしてくれたボランティアの人に、ふくらはぎの筋肉アップをしたらとアドバイス頂き、筋トレを始めるこれが後でとんでもないことになる。

 ずーと夏場も筋トレを欠かさずやリ、かなりの筋肉がついたころ、ちょうど子供の運動会があり、6年生のため最後の親子リレーにでる。自分の家族は先に走り終え、友達のお父さんが怪我で出れないとの事で、別な子の親子リレーにピンチヒッターで出る。
小学校のグラウンドは狭い上にコナーがきつく、石灰を溝を掘って入れてあるそこに足をとられて、転べばいいのに、なまじっかトレーニングしているものだから、踏ん張ってしまった。
その瞬間「パン」言う音と共にアキレスが切れてしまった。
この朝も、10km走っていたし、ストレッチもちゃんとしたのに・・・どうして?
遅筋と速筋の違いをつくづく感じさせられたのである。

 入院生活1ヶ月半せっかく作った筋肉は、あっという間に萎縮してしまった。
もうマラソンはできないかもしれない。そんな思いが脳裏を走った。

走ることって最高に楽しい

果たして、このピンチから脱出できたのだろ~か?
続きをお楽しみに。  

マラソン初挑戦!

初めてのマラソン(菜の花マラソン)

いよいよその時が来た。前日から、民宿に泊まり、万全の態勢で臨むことにした。
だが、興奮か、緊張か、なかなか眠られない。
まるで若いころのハンドボールの試合のデビュー戦を思い出す。
当日は、快晴のマラソン日和だった。
スタートは、9時だが7時には会場に着いた。
着替えて、受付を済ませて、アップを十分しスタートに備える。アップを念入りにしたのが、それが後で、堪えてしまう。
何せ7000人が走る。なんて多いんだ。先頭は全くみえない。
真中あたりで合図を待つ。待っている間、懸命に脚が冷えないように動かす。
9時丁度スタート。とは言っても、なかなか動かない。3分ぐらいして、やっと動き出す。それものろのろと、これは遅れを取ったと思い、人をかき分けかき分け、前へ前へ進む。
やっと順調に走り出したのは、2Km地点を過ぎてからだ。
5Km過ぎからアップダウンが連続する。難なくクリアー。一応順調なスタートであったが最初の10Km1時間かかった。
体も軽い、これならまだスピードアップできる。次の10Kmはなんと45分で走ってしまう。
これなら初挑戦で、4時間は切れる。3時間台が頭の中をよぎる。
25Km地点で少しペースが落ちる。でもまだまだ余裕はある。30Kmあたりにすごい下りがあった。
その前のゆるい上りも、少しきつかったので、この下りは天の助け。だが、なんとすぐ後に、キツイ登りがあったのだ。
歩いてたまるか、根性だけは誰にも負けないぞ-。歩かず登りきる。だが、そこで力尽きた。
それから先の12Kmは、もう最悪、少し走っては、歩く。歩けば、冷える。冷えると、足が攣る。引きずりながら走る。また止まる。また攣る。この繰り返しがゴールまで続く。
途中、なんでこんな思いをしてまで走らなきゃ-ならないのか。早く終わってほしい。早くゴールがこないのか。もう二度と走らないと涙ながらに走った。
やっとの思いで、ゴール。
初マラソン完走!と、感動するところだが、もう悔しくて、悔しくて、どうしようもなかった。
ちなみなタイムは4時間43分であった。こうしてマラソン初挑戦は終わった。

激走、激痩、激爽

まだまだ、続く・・・・激闘のマラソン人生!
明日をお楽しみに。

  

毎日エンジンかけると

最近、出来るだけ毎日、エンジンをかけるようにしています。

人間でも、動かないと体がなまるのと同じで、バイクも長くエンジンかけないと、バッテリーが上がるばかりか、エンジンがかかりが悪くなります。

お陰で、簡単にエンジンがかかります。