地元鹿児島のラジオ局MBCの生取材を受けました。
温泉の方の取材を受けた後、プラグポイントの方でもありました。
連泊のライダーさんも出演していただき、最後はライダーさんのギターと国王のサックスでセッションしました。
生と言うことで、緊張してカミカミでしたが・・・・・
若い綺麗なパーソナリティのお姉さんとでしたので、楽しかったです。
地元鹿児島のラジオ局MBCの生取材を受けました。
温泉の方の取材を受けた後、プラグポイントの方でもありました。
連泊のライダーさんも出演していただき、最後はライダーさんのギターと国王のサックスでセッションしました。
生と言うことで、緊張してカミカミでしたが・・・・・
若い綺麗なパーソナリティのお姉さんとでしたので、楽しかったです。
昨日、最初から来ていた年越しミーティングライダーが出て行きました。
7連泊の神戸からやって来たにっしゃんです。
大隅半島の林道を走破して帰りました。
また年末に会いましょう!
そして、地元ライダーの信ちゃんです。
副国王に任命してあります。
これからもよろしくね。
やはり・・・バイクにならないと2015は始まらないと思い、お泊まりライダーとプラグポイントオフコースに久々に行って来ました。
最初の1周は、下見程度に走ると、倒木がかなり多く、走りにくい。
2周目は枯れ木、倒木を片づけながら・・・
3周目は少しジャンプをしながら・・・
お泊まりライダーは林道に・・・・
もう少し走りたくて・・・・・
4周目は少し感覚が戻って来た・・・・
5周目は・・・次は下りのジャンプ飛んでみるか!と思いつつ・・・・最低鞍部へ
テクもないのに気持ちはA級ライダー!
カウンタージャンプを決めたつもりが・・・・・
前輪着地でつるっと滑り、「あれ~~っ!」斜め前方に、ぐしゃっと・・・・
首が「ゴキッ」・・・・やってもうた~~!頸椎捻挫!
とりあえず、スタート地点に帰り一休み。
めまい、頭痛なし、ゆっくり頭を回してみる・・・・大丈夫!
後遺症?で肩こりがなくなる。
今日はこれまで・・・・プラグポイントに帰って、コーヒーを飲む。
次はコース整備をしてもう少し走り込もう!
さみしくなりますが、だんだんといなくなります。
今年は大型バイクで埼玉からやって来た最多来場者の関根君。ドンドン記録延ばしてください。
大型バイクは楽だわ~と言いながら、埼玉まで高速で丸1日近くかかる。気をつけて帰って下さい。
昨年から連続参加の篠さん!
また来年も来てください。
皆さんありがとうございました。
毎年、仲良しファミリーで来てくれます。
今年も、可愛い娘さん連れてきてくれました。
お土産ありがとうございました。
また今年も待っています。
すーちゃん!勉強頑張って、推薦通ってね。
あけましておめでとうございます。
旧年中大変お世話になりました。
引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。
さて、長年続いている年越しミーティングですが・・・ついに1986年以来皆勤賞だったKANさんが、お嬢様インフルエンザ発熱のため、ついに欠場となると言う事態で幕を開けました。
常連ライダー3人と1家族に加えて、昨年から参加ライダーと新人ライダーとで10人でスタートしました。
恒例の闇鍋から始まって、ビール、焼酎飲み放題~ゲロ~グロ~最後はGファイヤ~で締めくくりの若かりしころ・・・・
今では、みんなみんな大人な宴会でした。
昔の名前で出ています。と20~30年前のアルバム見ています。
あの時君は若かった~~!!
12時過ぎるとこれまた恒例の近くの瀬戸山神社に初詣・・・桜島噴火による灰が雪のように降る中をお参りしました。
元旦は昼間まで寝て、起きると、雨、雪だったので、花札に興じています。
そんな中・・・1番ライダーが出発しました。
毎年、この時期になると必ず、北の国から贈り物が届きます。
国民の北海道のO君からビールのお歳暮です。
今年もいただきました。
大晦日の年越しミーティングでいただきます。
ありがとうございました。
7月12日に志布志市大慈寺で行われる座禅会のための資料です。
参加される方はご拝読いただける幸いです。
禅とは?
禅とは?心の別名です。
ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。
私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。
世の中、意のままにならないものですが、正確には我欲のままにならないということです。禅語の「如意」は意の如くと、思いのままになることを言いますが「如意」の「意」は我欲のことではなく、自他の境界と距離を超えた森羅万象に共通するほとけの心のことを指しています。
この「ほとけ」の心の働きには「智慧」と「慈悲」があり、それは認許とも言い換えられます。自分とは違う相手を許し認め、自分とひとつとする「不生不滅・不垢不浄・不増不減」の空の価値観に立つおおらかな心のことです。
自他の距離と境界を越えるには、自分自身を空しくすることです。禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう自由自在な心のことです
坐禅とは?
お釈迦様は、ブタガヤの菩提樹の下で坐禅をされ、7日7晩の禅定の後に、悟りの境地に入られました。
「坐」は、日本の言葉で「すわる」といいます。「すわる」とは、落ちついて動じない、とか、静止する、定着する、などの意味だと辞典にあります。要するに、動かないように安定させることです。
身体を落ちつけて動じない形に安定させ、心を一ヵ所に集中し定着させる。その身と心とを融合統一し、身心を一如に安定させるのが呼吸です。そこで身・息・心の統一調和をはかるのが「坐」だということになります。
次に「禅」ですが、これは「禅那」といい、サンスクリットの dhyana とか、パーリー語の jhana とかの音写で、静慮と漢訳されます。現代の中国語では、channa と発音するようですが、静慮の意味であることに変わりはありません。ただ静慮という訳は、適訳ではないので余り用いられず、「禅」で通っています。そして、禅那とは、心統一の因だといわれますから、坐ることによって身・息・心を統一し、または統一しつつある状態が坐禅だということになります。
..
禅は自分を見つめなおすものです。
「洗心」という禅語があります。「心を洗う」ということですが、要するに、反省だとか自分を見つめなおすとか、日常の中で「自己の点検を怠らないようにする」ということであります。掃除を怠ければ部屋が汚れていくように、人間の心も手入れを怠れば、汚れていくものです。
誰もが生まれながらにして有している純粋な心を「仏性」と申しますが、誰かの仏性に触れ合ったとき、今の自分の生き方は正しいといえるだろうか?と自分に問いかけてみたいものです。そうやって今の自分を振り返る中で、気づかぬうちにたまってしまった心の垢に気づくかもしれません。
そんなとき、心の汚れを落とす必要性に気づくはずです。では、心の汚れを落とすには、どうすればいいのでしょうか?それは、善行を積むということです。他を思いやる、他に感謝する。他人の指摘を素直に受け入れ、改善していく・・・。長年、溜まってしまった心の垢は、簡単には落としきれないかもしれません。
それでも、何度も何度も洗っていくうちに、自然と元の純粋な心が蘇ってきます。それは、あたかも、泥水を何度もふるいにかけて、きれいな水にするような―それは、地道で根気のいる作業ですが、今、洗浄し始めた心が、一年後には、きれいになっているはずです。そして、もしかすると、一年後の世界には、今の自分とは違った自分がいるかもしれません。それは、皆さん次第です。
(文献は勝林寺のHPより引用、画像はYAHOOより引用させていただきました)
今日は、私の誕生日です。毎年この記事を載せさせて頂いてます。
私が生まれて来たことの意味を考えさせられます。
私は、私が今日と言う日を自分で決めて、生まれてきたという話です。
とても、神秘的ですね。
「ある助産師さんのお話」
—————————————-
赤ちゃんを産むとき、陣痛というものがある。
陣痛は、初産で約24時間
2人目以降で約12時間続くものらしい。
妊婦さんの中には、この陣痛がとても苦しいので、「産む側は大変、赤ちゃんは生まれてくる側でいいなぁ」
と言う方もいるらしい。
しかし、助産師さんは、これは大きな勘違いだと言う。
赤ちゃんの方が、妊婦さんの何倍も苦しいのだと。
実は、子宮は筋肉であり、これが収縮したり緩んだりするのが、陣痛の正体らしい。
陣痛が始まり、子宮が収縮すると、赤ちゃんは首のところを思い切り締め付けられ、
へその尾からの酸素が途絶え、息ができなくなるそうだ。
子宮の収縮は約1分間。
その間思い切り首を締められ、息ができない。
1分たてばまた子宮はゆるむが、また陣痛が来れば1分、息ができなくなる。
しかも陣痛の間隔はだんだん狭くなる。
この陣痛に耐えられなければ、赤ちゃんは死ぬ。
まさに命懸けだ。
だからこそ、赤ちゃんは慎重なのだという。
実は、陣痛がおこるためには、陣痛をおこすホルモンが必要らしいのだが
このホルモンを出しているのは、お母さんではなく、なんと赤ちゃん自身。
赤ちゃんはとても賢く、自分自身で自分が、今陣痛に耐えられる体かを判断する。
そして、一番いいタイミングで、自分の生まれてくる日を選ぶ。
(そう考えると、自分の誕生日も、 自分が選んだ日なんだと思えた)
また、急に激しい陣痛を起こせば命が危いので、最初は陣痛を起こすホルモンを少ししか出さず、
様子を見てホルモンの量を調整するらしい。
赤ちゃんの中には、予定日を過ぎても、なかなか生まれてこない赤ちゃんもいる。
途中で陣痛を止める赤ちゃんもいる。
そういう赤ちゃんを「うちの子はノンビリしてる」
なんていうお母さんもいるけど、そのとき赤ちゃんは必死なんだという。
生まれて来ないのは、赤ちゃんが、「今の体では陣痛に耐えられず死んでしまう」、と判断しているからだそうだ。
赤ちゃんはみんな、自分で判断して自分の意志で生まれてくる。
「生まれたくて生まれたんじゃない」
なんて人はいない。
すべての赤ちゃんは、その日を自ら選んで生まれてくる。
生きるか死ぬかの狭間の中、あの小さな体で必死に生きようと頑張っている。
子供を授かることもそうですが、出産は母親にとっても赤ちゃんにとっても、すべてが奇跡の連続なんだと。
あなたの誕生日も、あなたが命を懸けて、選んだ日なのです。
そう考えると、自分の誕生日が、本当に特別な日なのだと改めて、実感できるのではないでしょうか。
そして、偉大なる父と母に感謝しなくてはいけません。
産んでくれた母親に感謝。
育んでくれた父親に感謝。
いつも一緒に遊んでくれた。心配してくれている兄に感謝。
こんな自分を支えて続けてくれている妻に感謝。
生まれて来てくれた子供達に感謝。
色々と支援してくれた親戚に感謝。
私の素晴らしいDNAを与えてくれた先祖様に感謝。
生まれて今まで携わって来てくれた方々に感謝。
プラグポイントの国民とライダーのみなさんに感謝。
フェイスブック、ブログなどで繋がっている皆さんに感謝。
今まで出会った素晴らしい風景、音楽、芸術などに感謝。
今日まで、おこった(あった)全ての出来ごとに感謝。
「ありがとう!感謝」の気持ちを常に持ち続けて、チャレンジ精神で、また、1年を、1日1日を大切にして、新たな年輪を刻んでいきます。
変わらぬご支援、ご指導のほどよろしくお願いします。
ありがとう!感謝!
誕生日を迎えるにあたって素敵な言葉を頂きました。「水平線の向こうから」に書いてあった言葉です。
幸せな人生とは「死に望んだ時、自分自身に対して『よう、頑張った』と言えるような生き方」
そして「人は死が近づくと本当にやりたかったことに気がつく。しかし、それをするには残された時間が短すぎる。豊かな終期を過ごすには、結局自分が本当にしたかったことをしたかと思う人生を送ることである」
My life has been done (自分のやるべきことはやり遂げた)
My life has deen lucky(私の人生は幸運だった)
平均寿命が着地点なら、20年を切ってしまっている今日この頃。
残された大切な時間を、最後にこんな言葉を言えるようにこれから味わいながら、楽しみながら、過ごしていきたいものです。
人生楽しんでなんぼのもんじゃい!
少し前(2週間前)にカヤックで川下りした時の動画です。