甦れ!不死鳥の如く!の巻

ランニングをやめてから10年あまり。

最後に走ったのが2004年の桜島ハーフマラソンでした。

その後、体調崩して、心房細動は発症して、走ることを諦めていました。

ウォーキングは、ず~~とやっていたのですが、心肺機能がだんだん低下しているのが、目に見えてわかるようになってきました。

やはり走らないと心肺能力は上がってこないような気がしました。

それに、これといった症状も出ないし、出た時は出た時と思い、ジョギングからスタートしました。

最初は、少し走っただけで、ゼィゼィ、バクバク状態でしたが、ゆっくり走り、徐々にペースを上げることにしました。

折角、走るんだから、目標をと思い、昨年出られなかった本土最南端佐多岬マラソン大会の5kmに標準を合わせることにしました。

練習は始めたのが10月後半、11月初めに、バイクで転倒、足を痛めて1週間休んでしまったので、練習は結局、3週間ばかりで、臨むことになりましたが、目標を完走、あわよくば30分以内で走るにして、気楽に走ることにしました。

当日、スタート1時間前に受付終了して、アップはバテることを懸念して、ストレッチだけにしましたが、それが後で裏目に出てしまいました。

10時10分スタートです。

やはり、久々のレース、気楽にとはいえ、緊張はします。

最後尾でスタートを待っていると、スターターは森田町長・・・これは挨拶しておかないと思い、スタート台の方に。

・・・すると森田町長は、こっちを向かず、行ってしまいました。

「ああ・・・」振り返ると、選手たちは、10m先を・・・「ちょっ!しもたっ!」

追いかける羽目に、やっと最後尾の女性においつたところから、登りに・・・・アップしていなかったため一気に心拍数が上がって、「こりゃ、やばいかも」・・・・心臓止まるかもかもしれん!不安がよぎる。

ペースダウンして、整えることに・・・・しばらくすると心拍数も呼吸も整ってきた。

よしこれから・・・・・すでに2kmが過ぎていた。

天気は寒くなく最高だった。

久々のレースを楽しんでやるぞ思い、沿道で応援してくれる人に、スマイルで応え、風景を楽しみながら・・・・。

そういえば、バイクでは何度も走ったことがあるけど、ランニングでは初めてだ~と思いながら・・・。

3km地点で折り返しのランナーに出会うが、特に焦りがなく、マイペースで走る。

だんだん体も温まり、ペースもアップして、最後尾から脱出。

遅れてきたランナーを次々とかわし、この分だと、完走は出来るぞ、次の目標30分を切ること。

時計を見ると、ストップウオッチにしておらず、正確な時間がわからない。

え~~っ!10時10分のスタートだったから・・・逆算して・・・・う~~ん!なんとか間に合いそう!

さらに、スピードアップ!下りだから、結構スピードが出る。

もう心房細動のことは、すっかり忘れてゴールを目指す。

きついけど、スマイル!スマイル!沿道からお笑いタレントのビューティーメーカーの声援に、笑顔で応えながら・・・・走る、走る。

アナウンスに名前を呼ばれるとついにゴールが・・・・いつ味わっても、最高の気分のゴールシーン!

思わず両手を挙げて  「ゴ~~~ル!」

う~~ん!30分切れたかはギリギリのところだ~と思いつつ、記録証を受け取りに・・・・

「30分37秒 オ~!マイガット!37秒か~~!!」 その場に崩れ落ちのであった。

記録証を渡してくれたJK達の失笑を誘ったのでありました。

スタートのノロノロが原因と反省しても後の祭り。

かくして、10年ぶりのプチマラソン再挑戦は終わりました。

2~3日経った今頃、脚の痛みが出ています。

多少のリスクは、避けられませんが・・・・・

リスクを冒さなければ、出会いも感動も感謝も得られません。

次は10kmに挑戦!もちろんリスクマジメントはしっかりやります。

「人生楽しんでなんぼのもんじゃい!」
  

四万十川ウルトラマラソン・・・・完走する方法

四万十川ウルトラマラソンを完走する方法


独断と偏見によるウルトラマラソン完走法

初めて、ウルトラマラソンを走る、大変不安だと思います。
そこで、完走を目的とする、方法を伝授します。
私は、走り屋さんでもありませんし、ましてやクラブや会には属していません。どっちかと言うと走るのは遅いほうです。
練習もさほどしません。そんな人間が書くのであまり当てにしないで下さい。ほんの参考程度にしてください。
ではまずコースを説明します。申し込みのときに、もらった地図を参考にしてください

さてスタートはBの蕨岡中学校です。最初の10Kmはほとんど平坦で、体の調子見るのに丁度いいくらい。
10Km手前から少し登り始める。といっても登りとは感じないくらいだ。15Kmから20Kmが最も登りはキツイ、5Kmで400mの高低差だ。21KmがC地点峠の頂上でエイドステーションがある。
ここから一気下る。この下りもキツイ5Kmでやはり400mの高低差である。35Km先は平坦で走りやすくなる。下りも飛ばさないで、やや抑え気味で下る。そうしないと後半脚にきて、走れなくなる。体力温存。
四万十川を見ながら走れる。気分は最高!55Kmあたりで、沈下橋を渡る。風が強いので、突風に気をつける。橋も狭いので、接触にも気をつけよう。沈下橋過ぎてすぐに小さな坂がある高低差100m。この坂はかなりキツイ。ここを越えるとレストステーションまでは、5Kmもない。
62Kmまで走ると、昼食と着替えのあるJ地点レストステーション。
ここから先は平坦で楽である。橋を渡ったり、トンネルを通ったり、変化に富んでいる。75KmK地点から道も狭くなるが、走りやすい。
ウルトラマラソンの正念場は、70km~90kmである。
この20kmが全てと言っても過言ではない。
ここをしのげるかしのげないかで完走は決まる。
このときこそ、歩かない。過度に休まない。・・・・・ことを実行してください。

残り2Km地点で小さな登りがあるが、ゴールも近いので気合で登れる。が意外と気を付けてほしいのが、下り、ゴールの明かりが見えるので、ついあせってしまう、足にも来ているので、特に注意されたし。転倒注意ですぞ!
そこから先は、はってでも行ってください。

——————————————————————————–

完走のポイント

ペースは出来るだけ一定にする。(Km/70~80分を目安とする)
下りは飛ばさない。登りと同じくらいな感じで走る。
ドリンクや食べ物は出来るだけ頻繁にとる。途中で腹が減るので。
目標を持つ。例えばカワイコちゃんの後を走るとか。
絶対に歩かないと言う気持ちを持つ。そして歩かない。
勝負どころは、75Kmから90Kmである。ここまでは力を残そう。
給水ポイントでは、座らない、休み過ぎない。

これが3回完走した私のやり方です。
ご参考まで

まだまだ、続きますが、どうしましょうか?

リクエストあれば、コメント欄に記入ください。
  

四万十川ウルトラマラソン・・・・その2

PRAT2

蕨岡中学をスタートして、最初の10kmは平坦で、1500人ほどの出場中後から50番以内であった。
仲のいいカップルのすぐ後ろを走っていたが、あまりにも遅く最後尾になりそうなので、少しだけスピード上げる。
10kmを過ぎたあたりからじわじわ登り始め、500mの高低差を一気に峠まで上る。
景色はいいがそれをみている余裕などない。20kmまでは足も体調もいいもう少しスピードアップできそうだったけれど、ここから先は下り、飛ばしすぎると、その後が怖いのでセーブしながら走る.
下りきった32km地点で四万十川に合流する。
久しぶりの四万十川に感激しながら、ひた走る。さすが40kmを越えたころから少し足に来はじめる。
「やばい』でもまだ半分も走ってない。
50kmを過ぎたあたりで沈下橋を渡る。ここはコース上で唯一折り返しランナーとすれ違う。橋の上は風がキツイが、すれ違うランナー達の顔を見ると元気が沸いてくる。
「あと半分だー」と思いきや高低差100mの登り「キビシイ-』
60km地点で着替えと昼食をとる。おにぎり3こ食べ10分の休憩で走り出す。
四万十川の雄大な流れを見ながら、「まだ余裕かな」と思っていると、75kmを過ぎたあたりでいきなり空腹に見舞われた。「腹減った-!何か食べ物はないかー!」エイドステーションまでは遠い、ふと横を見ると畑に柿がなっている。
これを失敬するしかない悪いと思いいつつ、二つほどいただきむさぼり食べる。これで何とか生き延びれた。
80kmを過ぎたあたりから、思うように足が動かないが唯一助かっているのは、痙攣が来てないことだ。
制限時間いっぱいで走っている。後ろから選手収容のバスに追いかけながら、必死で走った(歩くと変わらないスピードで)
79km関門クリアー!87km関門何とかクリアー!「乗りませんか?」・・・・「乗るもんか!」・・・たぶんよろよろしていたのだろ~。
もうあたりは暗くなってきた。このあたりで、通称「ホタル」なる蛍光ライトを渡され、首からかけさせられる(安全のため)
最後の関門クリアーもう真っ暗、ボランティアの人照らす車のライトで道がやっと見えるくらいだ。
後は時間との戦いだ。間に合うだろ~か?と思いつつ・・・・
残り1kmの所の坂を登りきると、ゴールのアナウンスのカウントダウンが聞こえてくる。なんとか間に合いそうだ。
転びそうになりながら坂を駆け下りる。
ゴールまであと少し最後の力を振り絞りゴールに向かう。
どんなポーズでゴールしようかな~~など考えながら最後のコーナーを曲がると、パーと眩いばかりのライトに照らされた。「谷本さん』と斎藤君が叫んだ横を向き手を上げた。

13時間55分ついにゴール(なんと制限時間5分前のゴール、危なかった)

これが完走者に与えられるメダルだ。

長かった100kmがついに終わった.
完走のメダルを首にかけてもらいシューズからチップをはずしてもらい立ちあがろうとしたが、もうフラフラだった。
先にゴールしていた斎藤君、根岸さんと抱き合い、その後、感激のあまり、西川さんの奥様にまで抱きついてしまった.

今までの人生でこんなに感動したことはなかった。

その夜、みんなの完走を祝して楽しい宴をしていただいた。
ご主人、奥様、かわいいはなちゃんと久々に美酒に酔ってしまった。
 西川さんご夫妻をはじめ、はなちゃん、ウルトラマラソンの関係者の皆さん、応援してくれた地元の皆さん、整骨院の先生、鍼の先生、仕事をあけてしまって迷惑をかけてしまった会社の皆さん、「本当にありがとうございました」・・・感謝の気持ちいっぱいでした。
特に西川さんご夫妻には、物心ともに支えていただいたおかげで完走できたものと心よりお礼申し上げます。
こうして夢であった100kmウルトラマラソンの初チャレンジは終わった。


 
感動のゴール

ゴール後の喜びを分かち合う(スティママ、根岸さん、斎藤君、著者)

次は、四万十川ウルトラマラソン攻略法伝授します。

続く

  

四万十川ウルトラマラソン・・・・その1

出場資格はできたものの、いったいどうやってこんな長い距離を走ればいいのだろうか? ほんとに走れるのだろうか? 
もう練習しかない。それから真剣に走り始める。
泊る所は、ホームスティーで西川さんの所に泊ることになり、準備は着々と進んで行った。
練習も8月9月と順調にこなし後1ヶ月いうところで、練習で、無理したアキレスを切った左足のひざが、痛み出した。
練習をやめ整骨院で治療をする。
さらに悪いことに、仕事では、勤めていた店がリニューアルをする事になり、10月末オープンと言うことでますます忙しくなってきた。
ひざのほうは一向によくならず、十日前から思い切って鍼を打ちに行き始める。
膝もだいぶよくなってきた三日前、今度は風邪を引いてしまう。
内科に行き、熱を下げる注射をしてもらう。「こりゃ-もうダメだー」「いけないぞー」そう言う思いが頭を持ち上げてきた。
でも、もうエントリー費を15000円振り込んでいるし、ホームスティーをお願いしている西川さんに断るわけに行かない。
とりあえず行ってみよう!明日になれば熱も下がるだろう!何とかなるさと思い行くことを決意する。

次の朝なんと熱が下がった。5時に家を出発11時に佐伯に着く12:30佐伯港を出発15:00に宿毛に着く、そこからバスで1時間中村市に到着。
その日は歓迎レセプションがあり、7時過ぎにやっとホームスティーをしてくださる西川さん会うことが出来た。
同宿の根岸さんと斎藤くんの二人にも会う。根岸さんは、なんと70歳を超えていて、何でこんな人が100kmを走るのか?「まじかよ-」と言う感じである。斎藤君は26歳の新婚さん、バリバリって言う感じがする。
西川さんはご主人が、元校長先生で奥さんが現役の先生で、ボランティアのホームスティーも二回目だそうだ。その日は西川さん宅でゆっくりさせてもらう。

 大会当日は3時半に起き食事を食べさせていただき、4時半に会場入り、あたりはまだ真っ暗、約1時間のアップの後5時30分スタート。
前日の食事のとき、みんなに多分完走は半々だろうと話をした。なんたって1ヶ月も練習はろくろくしてない、その上、熱まで出していたのだから、こうしてスタートライン立てただけでも感謝しなければ・・・・・・・
完走するシュミレーションを自分なりに立てた。

1.ペースは一定に保つ。
2.歩かない。
3.どんな人に抜かれても気にしない。
4.14時間以内に入ればいい。
5.10年ぶりの四万十川を堪能する。
この通り走れれば、完走できる。そう確信してのスタートだった。

ホームスティーでお世話になった西川さんご夫妻と一緒に走った根岸さんと斎藤君。

果たして、完走できたのでしょうか?

つづく
  

甦った・・・不死鳥のごとく

復活 不死鳥のごとく

もう走れないそう思った。これで終わったな。でももしや走れるかもしれない・・・・・・
そんな気持ちで、ベットの上で、上半身のトレーニングだけは、欠かさずやっていた。
退院して3ヶ月はリハビリで病院通い、復帰に向けて歩み出した。
だが、年をとってからの怪我で一度落としてしまった筋肉はなかなか戻っては来ない。無理して走ればすぐに筋肉痛をおこす。それでも少しづつやるしかなかった。
マラソンを始めたときの夢であったフルマラソン3時間以内で走る、100kmマラソン制限時間内完走、宮古フルトライアスロン完走は、あきらめなければならないのだろうか・・・・・・。
とりあえずこのつぎの指宿マラソンを走ってみよう。完走はできないかもしれないが、行ける所までいってみよう。
こうして何とか気持ちだけを奮い立たせて練習をして行った。

1997年1月何とかマラソンのスタートラインに立った。練習では、10kmは走っていたが、はたして42.195kmは走れきれるものだろうか?とにかくマイペースしかない。あせらず休まず、歩くこともなく完走。
記録は4時間26分復活ののろしであった。
これに気をよくしたので、10月の四万十川ウルトラマラソンを走ってみようと思い始め、6月に応募した。そして7月始めに出場の許可をもらう

アキレス切断!リハビリ中

さて、さて、あくなき挑戦は、さらにグレードアップ・・・・・どうなりますことやら・・・・・・

ここからが、著者の真骨頂!とくとご覧あれ!  

栄光と挫折を味わう

栄光と挫折

悔しくてたまらなかった初マラソン。このままで終わりたくない。
そんな思いで、練習をはじめた。
夏の暑い中も走りつづけた。
ちょうど10月に、宮崎で、練習の成果を試す、マスターズ世界大会があり、誰でも参加できると言うので、出場することにした。
10月とはいえ、この日は大変暑く、.スタート時の気温が23度と異常なくらい暑い
調子はまずまずで、元気よく飛び出し、一つ葉道路を快適に走っていたが、10Km地点で給水をしようと思ってポイントを見ると、ない全くない水が、水がない!
暑さのため、前の集団が全部飲んでしまったのと、準備の量が少なかったみたいだ。給水できず。つぎのポイントに期待するが、またなし、25Km地点、とるにはとったが、もはや脱水症状寸前。
大淀川大橋の上でめまいを起こしてしまう。10分ほど座るとだいぶ良くなったので、とぼとぼと走り出す。ほとんど歩いている感じだか、頑張り完走する。
時間は、初マラソンより少し良く、4時間24分であった。またまた失敗に終わる。
 もう半ばあきらめながら、でも、少し悔しい気持ちで、練習を続ける。

次の年の菜の花マラソンを、むかえる。
そこそこ練習はしてきたので、まず行ける所までいってみようお言う気持ちで、最初から飛ばす。
20キロまでは1時間40分とまずまずである。
後半ばてないようにと思いながら走っていると、同じスピ-ドの人と並走すると結構楽に走れる。急坂の所で引き離すのが、なかなかの快感だった。
20~40Kmは1時間37分とスピードが上がっている。
とりあえず4時間が切れればいいやーと思いながら走っていると、のこり1Km地点で観客から『兄ちゃん!頑張れば3時間半はきれるぞー』との声が、ここから思いきりダッシュ!ゴール!
 ゴールしてみるとなんと記録は、3時間28分48秒であった。ほとんどしんどくなくゴールしていた。
マラソン3回目にして出した記録に本人も驚いたと同時に自信につながった。

この年からトライアスロンをはじめ、ますます体力アップに努める。
つぎの年1995年の菜の花マラソンは、少し違っていた3時間を切ると言う思いで、練習をやってきた。
記録を狙うために前の方からスタート・・・・かなりのスピ^-ドで飛び出す。
20Kmまでの記録が1時間26分50秒(10km43分驚異の速さだ)・・・・3時間を切れそうなタイムだ。
これは行けると思い一段とスピードを上げる。
しかし、そんなにうまくは行かない。魔の30Kmの急坂でつかまってしまう。がくっとスピードは落ちる。もう二度とスピードはあがらない。
結果は3時間48分50秒に終わる。

続いて2月の出水鶴マラソンに出るが、寒さ対策不足で、3時間56分55秒に終わる。
このとき、マッサージをしてくれたボランティアの人に、ふくらはぎの筋肉アップをしたらとアドバイス頂き、筋トレを始めるこれが後でとんでもないことになる。

 ずーと夏場も筋トレを欠かさずやリ、かなりの筋肉がついたころ、ちょうど子供の運動会があり、6年生のため最後の親子リレーにでる。自分の家族は先に走り終え、友達のお父さんが怪我で出れないとの事で、別な子の親子リレーにピンチヒッターで出る。
小学校のグラウンドは狭い上にコナーがきつく、石灰を溝を掘って入れてあるそこに足をとられて、転べばいいのに、なまじっかトレーニングしているものだから、踏ん張ってしまった。
その瞬間「パン」言う音と共にアキレスが切れてしまった。
この朝も、10km走っていたし、ストレッチもちゃんとしたのに・・・どうして?
遅筋と速筋の違いをつくづく感じさせられたのである。

 入院生活1ヶ月半せっかく作った筋肉は、あっという間に萎縮してしまった。
もうマラソンはできないかもしれない。そんな思いが脳裏を走った。

走ることって最高に楽しい

果たして、このピンチから脱出できたのだろ~か?
続きをお楽しみに。  

マラソン初挑戦!

初めてのマラソン(菜の花マラソン)

いよいよその時が来た。前日から、民宿に泊まり、万全の態勢で臨むことにした。
だが、興奮か、緊張か、なかなか眠られない。
まるで若いころのハンドボールの試合のデビュー戦を思い出す。
当日は、快晴のマラソン日和だった。
スタートは、9時だが7時には会場に着いた。
着替えて、受付を済ませて、アップを十分しスタートに備える。アップを念入りにしたのが、それが後で、堪えてしまう。
何せ7000人が走る。なんて多いんだ。先頭は全くみえない。
真中あたりで合図を待つ。待っている間、懸命に脚が冷えないように動かす。
9時丁度スタート。とは言っても、なかなか動かない。3分ぐらいして、やっと動き出す。それものろのろと、これは遅れを取ったと思い、人をかき分けかき分け、前へ前へ進む。
やっと順調に走り出したのは、2Km地点を過ぎてからだ。
5Km過ぎからアップダウンが連続する。難なくクリアー。一応順調なスタートであったが最初の10Km1時間かかった。
体も軽い、これならまだスピードアップできる。次の10Kmはなんと45分で走ってしまう。
これなら初挑戦で、4時間は切れる。3時間台が頭の中をよぎる。
25Km地点で少しペースが落ちる。でもまだまだ余裕はある。30Kmあたりにすごい下りがあった。
その前のゆるい上りも、少しきつかったので、この下りは天の助け。だが、なんとすぐ後に、キツイ登りがあったのだ。
歩いてたまるか、根性だけは誰にも負けないぞ-。歩かず登りきる。だが、そこで力尽きた。
それから先の12Kmは、もう最悪、少し走っては、歩く。歩けば、冷える。冷えると、足が攣る。引きずりながら走る。また止まる。また攣る。この繰り返しがゴールまで続く。
途中、なんでこんな思いをしてまで走らなきゃ-ならないのか。早く終わってほしい。早くゴールがこないのか。もう二度と走らないと涙ながらに走った。
やっとの思いで、ゴール。
初マラソン完走!と、感動するところだが、もう悔しくて、悔しくて、どうしようもなかった。
ちなみなタイムは4時間43分であった。こうしてマラソン初挑戦は終わった。

激走、激痩、激爽

まだまだ、続く・・・・激闘のマラソン人生!
明日をお楽しみに。

  

マラソンって何だ?

今日から新しいシリーズが始まりました。
40歳を越えてから、マラソン挑戦の記録です。
楽しんでください。

青春よ蘇れ!四十雀マラソン  


中央赤いバンダナ姿が著者です。

マラソンって何だ!

どうしてあんなに苦しいのに、走るんだろう?
しんどそうだな-。42,195Km・・・・・・・・なんて長いのだろう。
でも、走った後みんなさわやかな顔をしている何故だろう?
自分にも走れるだろうか?
その時なんとなく、走れるような気がしてきた。一回だけ走ってみようか。
何事も経験、体験が、私のモットー。フルマラソンに出ることを決意した。
それは私が、ちょうど40歳の誕生日のことだった。
初夏だが、次の日から走り始めた。
最初は、2Kmを走ると汗だくだく、その上息切れまでする始末。
なんととも情けない。運動不足が、もろに体に堪える。
こんなはずはない。でも現実はそんなに甘くない。
それから毎日走り始めた。
2Kmが3Kmになり、5Kmに延びていった。10Kmが何とか走れだした。
試しに20Kmを走ってみることにした。あらかじめ車で、測っておいた20Kmを走ってみる。
15Kmまでは、楽勝だったが、そこからバテてしまった。
とりあえず、1月の菜の花マラソンを目標において、練習をする。
練習はもっぱら、朝の出勤前の1時間である。あとは休みの時である。
10月に申し込みを済ませて、本番を待つばかりであった。

次回は、いよいよフルマラソン初挑戦です。